イビチャ・オシムが目指した「走るサッカー」は世界サッカーのどの位置にいたのか
新刊「急いてはいけない」を上梓したオシム氏。訳者が語るその素顔
■オシムの志向したスピードとバルセロナ
ただ、オシム自身は、しばしばバルサについて語り、自らのスタイルとバルサの類似性も示唆している。そしてジェフ市原から日本代表へと指導する対象を変える過程で、「サッカーの日本化」を打ち出す。
日本化。日本独自のスタイルの構築。それは具体的に何を意味していたのか。
中村俊輔、遠藤保仁、中村憲剛。卓越した技術を持ち、パス能力が高く創造性に富んだ選手を中盤に配する。鈴木啓太という「水の運び役」を得て、オシムが実現しようとしたのは、ジェフでは望めなかったポゼッションとスピードの調和であった。それこそが彼の「日本化」の実態であり、俊輔や遠藤に口を酸っぱくして「走れ」と苦言を呈し続けた意味でもあった。
ワールドカップの後でヨアキム・レーブは、ドイツ代表のスタイルをスピード=プロフォンドゥール一辺倒からポゼッションへとシフトさせた。世界チャンピオンの称号を獲得したレーブには、さらなるチャレンジを続けていくためのモチベーションが必要だった。ベップ・グァルディオラのバイエルン・ミュンヘンにインスパイアされ、スピードとポゼッションの調和を代表でも成し遂げようとしたのだろう。EURO2016では、コンディションの問題もあり実現はできなかったが。
オシムがあのまま監督を続けていたら、日本代表はスピードとポゼッションをどんな形で調和させていたのだろうか。日本らしさを、速さの中でどう具現化していたのだろうか。それを知る術はないのだが、ふと思いを馳せずにはいられない。